今井先生の夢ときセッションで得たもの。

一昨日は今井先生@onefamilyone の夢とき!ひと月に一回、夢を通して深く自分と向き合う大切で大好きな時間です。
『中華街の脇にある山を登ろうと登山道を目指すと、濃い霧で前がまったく見えない。迷っていると、濃い霧の中から登山ルックの女性のリーダーが足を負傷して降りてくる。』
『その様子をみて山を登ることを諦め、会社の同僚(ダンプのときも一緒だった)が運転する大型バスに乗って、どこかを目指すのだが行き先は解らない。

バスの中には仕事できなさそうな、不潔そうな、でも男というだけで威張って生きているような「昭和+昭和以前の親父ども」が過積載。
その中で、私はなぜかでんぐり返しのような格好で陰部をみている。』というものでした。

その夢を見たのは物凄く不安定なとき。
4月からバタバタと離婚の手続きをすすめ、家を売り抜いて。

くたくたに疲れてほんとはへたり込みたいところを、いきなり補助輪を外した自転車に乗りながら、泥田んぼのなかを走る凸凹した細い道からはずれないよう、必死に漕いでるような心境だったかも。

そんなとき、周りからかけられるのは『可哀想』というエネルギーでした。
家制度から離れて可哀想。
この年で一人になって可哀想。

自分にとって、娘や家にとって最高の状態を選択して実行できたことは、己にとって誇らしいことでもあり、誰にでも出来る選択ではないと考え抜いて決めたことだったのに、なぜかそれを『可哀想』と評価されたり、心配されたりする。。

娘も落ち着かないし、どんどん自分に自信がなくなって、一番近くで見てくれている人にもひどいことをいってケンカしてしまってという時に見た夢でした。

山に登れないのは、自分がとても傷ついていて今は上を目指すために進んでいい時じゃない。霧の中でどこをめざしていいのかもまったくつかめない、今ではないよねということはわかったんですけど。。
先生の関西弁につられて泣き笑いしながら、バスがわからんちんなんですよと質問すると、『男社会の集合意識かもしれんなぁ』と言われたとたん、お腹にどすーんと色んなものが落ちました。

私は農家に育って、跡継ぎの弟よりも自分ができることを証明して、母や祖父母に愛されたり認めてもらいたくて生きてきた。
社会人になってからも、わざわざガテン仕事を選んで、男に負けない働きを目指してやってきた。
今回の離婚その他も、旦那や姑に負けないよう文句を言わせないようにと…。

それは、だめな祖父を軽蔑しつつも家長制度のなかで支配されてきた祖母の考え方そのもの。物凄く働き者で家を2軒もたて、長女である母を離さなかった。

お金をたくさん稼ぐ力のあるひとだったけど、全部が勝ち負けでできている世界を必死で生きてきたひとだったんですよ。

私がなにか意見を言ったり母を庇うと、「ここは俺の建てた家だから出ていけ!」って、
シングルマザー家族にそれを言ったらおしまいよっていう決め台詞で、いつも反則勝ちを決めていたひとでした。

男というだけで偉い社会や、逃げることのかなわないムラ制度のなかで、「扱いは牛やブタより悪かった」嫁として生きてきた祖母にとって、必死に働いて家の役に立つことで少しでも愛されよう、優しくされようと必死にもがきながら生きてきてた人生はとても苛烈で。
その娘である母や私にもしっかり染み込み、解る範囲で大正時代からきちんとシステムは稼働していたのです。

「大事な人出てこんしな、あなたが意識してた場所いうか階層の中には大事なひとはおらんかったんだろうな。」と先生に指摘していだいた部分もそのとおりで。ケンカ話はずっと平行線で、明らか話の高さが違ってました。

「性器が傷ついてないんやったら、女性性を受け入れろというメッセージやと思うで」 
そうかぁ、確かに。

バスを運転していたのはダンプ時代パーソナル無線の市内でトップの方で(今もされているのかはわかりませんが、当時の無線業界は反社の資金源のひとつでもありました)、私がアマ無線始めたと知って事件になった(これも男社会の勝ち負け絡み)と思い出してみたり。
運転手がなぜその人なのかも、
何十年も前のことでも、夢はきちんと心得ていてすべて物語にして教えてるんだな。

女性性の受け入れ、
優しい世界を創り出すきっかけ、古い世界観や指標との決別。

言葉にすればきちんと自分で考えていたことであっても、
でもやっぱり、一人じゃわからない、気付けないもんなんだなぁ…。

役に立つことで認めてもらったり、愛を得ようと頑張る自分に気がついて手放す。

何度となく取り組んできたテーマだけど、今回ダメ押しでメッセージを送ってきたような気がします。

最初から、何もしなくても、あなたには価値があるし、素晴らしい存在なんだと。

私の中の女性性、母や祖母にも。
周りにいてくださるすべての方に、きちんと伝えられるよう生きていかんばだめなサイクルに、自ら望んで入っていったんだぞと。自分のことを可哀想がってる暇なんざ一ミリもねえぞ、しっかりせえよと、夢にお尻を叩かれたような気持ちです。

これから先も様々な学びを重ねて研鑽していくと思いますが、今回のセッションの中でいただいた言葉の通り、いつでも「私は無力である」ということを内側に刻みつけておこう。

今井先生のような伴走や同伴が出来るよう、こつこつ進んで行こうかとやんわり定めてみました。

来月を楽しみに夢をみます。
よろしくお願いいたします。

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