朗読劇で雪女を演じることに。
理由なく人の命を圧倒的に奪うということから、雪女は「厳しく大きな自然を表した存在」だと感じたのですが、
若い巳之吉に心ひかれ、素性を隠して里へ降りて働き、愛する夫や子供達と、末永く仲良く暮らしたいとなぜ望んだのでしょう。
異類女房譚として分類されるこのお話。
「人間以外の存在が女性となって現れ、男性のと間に婚姻が成立する」
というおとぎ話は日本にたくさん存在するのだけれど、
西洋のそれとはちがい、
「二人は結婚して、幸せに暮らしましたとさ」ではけして終わらないのです。
蛇や猫、狐、烏。
女房として登場するのは神様も含めて極めて多彩ではあるけれど、元々動物だったものが「人間の女性」になり、結婚する話は西洋にはまったくないとのこと。
どの昔話も、
女性からプロポーズをして、
女性から男性に禁止令を与え、それが破られると本性が発覚。
そして離婚。
なぜ離れるのが解っていて、
なぜいつか男が裏切るだろうことが解っていても一緒になりたいのでしょうか、
気になりすぎるじゃありませんか。
助けて、河合隼雄先生!
本には小澤俊夫さんの研究から
A.古代的一体感
A’.イヌイット等自然民族
B.ヨーロッパ(キリスト教民族)
C.日本
と図式化し、
A.動物も人間も全く同類の古代的一体感
A’.自然民族に見られるAを引き継いだ「人間と動物の間の変身も自然に起きるもの、異類婚というよりは同類婚」という考え
B.変身は魔法によってのみ!、動物の姿を強いられていたものが、愛の力によって真の姿を取り戻してから結婚。動物と人間の違いは越えられない壁(美女と野獣)。
C.A’とBの中間。魔法は使わないけど婿が動物→殺す。嫁が動物→別れると、人間と動物の間は極めて厳しく守られている
と説明。
日本は昔話の中でも特異な存在で、キリスト教民族と自然民族の中間にあることや、アジアの一国として非キリスト教化圏でありつつ上手にその文化を取り入れて来たことが伺えるのだと示しながら、
河合隼雄先生の独自の考察が記されていました。
『異類を人間に対する「自然」を表すものだと、考えてみてはどうであろうか。』と。
『人間は自然の一部でありながら、自然に反する傾向を持っている』
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
Cは人と自然は一体のようであるが、どこかの時点で人は自然とは異なるものとして自らを見、自然とは何かを知ろうとする。
しかし自然と言うものは知られることを嫌う。
(第六章 異類の女性より抜粋)
日本人の無意識と切れていない自我を表した物語。
「知る」という行為に伴う痛み。
自らプロポーズし働きかけ、なくてはならないひとになっていく過程で、自分も自然も同じものだと知っていく。
知れば知るほどいつかは自分と自然(相手)を切り離さなければならないというのに、衝動は止められない。
だから、
切り離す働きを男性像が背負う。
お互いに、
相手を失った後の世界を生きていくために。
今までと、
今までとなにも変わらなく見えるのに、でもすっかり変わってしまった世界を「知っていく」ために。
そのために出会い、
愛するのか…。
なんてこったい。。
死もそうかもしれません、
あの人がいた世界といなかった世界を私達は知っているわけで。
そして、時まさにお盆。
引き潮にのって黄泉の世界ヘ帰っていく彼らに手を振りながら、
失くすことによってかけがえのない『なにか』になってしまった彼らに想いを寄せるのです。
元型と呼ばれる神話が、
人の口を介すごとにこなれた形に変化していったというおとぎ話という世界で。
そして、短いセリフのなかで、
私はこの壮大なテーマをきちんと表現することができるのでしょうか。。
この物語に秘められた『あわれ』を少しでも込められるよう、今出来ることをコツコツ積み重ねていきたいと思う夜です。
