これも深いワークになりました。
「自己価値」に関するワークショップ、なんてタイムリー。
誘導瞑想で体験したのは、
ゾロアスター教の祭祀をやっていたとき。
私が魂の癖として今まで持っていたのは、善の象徴である、永遠に消えない炎でした。
善か悪かの二元論。
善思(フマタ)、善語(フークタ)、善行(フワルシュタ)を行って、最後の審判のときに天国へいくべくしゃかりきでがんばるわけです。
二元論だけど、最後は善が勝つと決まっている終末思想。
全ては人間の自由意志に任されているとか、表向き個人の選択できまるとはいえ、
最後に天国へ行きたいもんだから、
自分の感覚や感性を捨て。
判断の基準や生き方のすべてを神に委ねて、『神の望む通りに』『善のひと』として生きて来たわけで…。
今の生き方と比べてみれば、
神様が親とか一般常識に代わったぐらいの話なのかもしれません。
講義の最中、
高校のときに知って、ずっと持っていたレゾンデートル(存在価値、存在意義)という言葉を思い出しました。
『自身が信じる生きる理由、存在価値を意味するフランス語の「raison d’etre」をカタカナ表記した語。他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値を意味する。(実用日本語表現辞典より)』
これから必要になってくるのは、
『他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値』なんだと感じています。
あなたの価値はどこにありますか?といわれてドン引きする | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』 (ameblo.jp)