「ママ起業」とか「ママでも〇〇」ということばが好きではないのです。
「ママ」はあなたが引受けている役割のひとつであって、あなたのほんの一部分。
本当のあなたは、
例えばママだったり娘だったり女だったり妻だったり会社員だったり、色んなあなたをひとまとめにしたとき感じられるもの。
「ママでも」な自由、「ママでも」な輝きって一体なんでしょうね。
「ママでも」なものに手を伸ばすとしたら、
それはママという役割でしか見られない自分を甘んじて受け入れるということだし、
「ママ枠の中で永久に搾取されていてね」という策略に、自らハマりに行くことではないのかと。
だから、私はこう思うのです。
覚悟を決めてそこから立ち上がろうとするのであれば、わざわざ「ママ」じゃなくても良いではありませんかと。
「ママ」という役割、
誰かにとって都合のよい、実体も正解もないものを、頑張って自由にしたり輝かせたりする必要って、一体どこにありますか?と。
あなたの魅力や資質や神聖さ、
勇敢さは、あなたやあなたの大切なひとたちのために使うもの。
「ママ」という雑な括りで、役割の自由や輝きのために使ってほしくはないのです。
あなたは、「ママでもできる」ことをするために生まれてきたわけじゃない。
あなたは、
あなたにしかできないことをみつけるため。
あなたにしかなれないことを知るため。
あなたにしかできないことで、世の中の役に立つために生まれて来ました。
これは、
ママだけのことではありません。
誰しもがハマりがちなこと。
幼い頃から普通にありすぎて、自覚しにくいことでもあります。
愛されるために頑張り過ぎてしまう方にとっては、特にわかりづらいことでもあるでしょう。
どうか役割と自分を分ける時間を、少し持ってみてください。
役割を引受けることで上手に隠した嘘や言い訳、甘えがどこにしまわれているのか、勇気を出して覗いてみて欲しいのです。
だめな自分につんとすることもあるけれど、大概の望みは拍子抜けするほど素朴でシンプル。
宝石のように煌めかずとも、
それだけあれば他には何もいらないと思えるものって、一体なんでしょう。
掛け声や勢いはそれぞれの速度でかまいません。
時代が変わってきたなと体感するまで、時間の余裕を利用して、自分を知ってみてください。
立ち上がり、
膝のホコリを払う場所を決めるのは、役割より内側の「自分」を知ってからの方がよりスマートだと、
私は思います