「エゴを捨てなきゃダメよ」
って軽く言われたら、まんず相手の言葉の定義を疑ってみて?
色んな使い方があるけど、
自我って言葉だとしたら、
心方面から見ると全体性の一部だし、身体方面からみれば生き残りのプログラムのことかも知れない。
どっちもスパッと切り捨てられるものではなかったり
むしろ切り捨てられたら困っちゃうし、そもそも完全に手放せるもんではないんでないかと、先に知っていた方が迷わなくて良さそう。
字面がエゴイスト(利己主義者)と似ているせいか、そうあってはならないと脊髄反射的に自分を戒めて追い込んで。
なんだか真面目な人ほど辛い目に陥ってる気がする。
我儘で汚くて醜い自分を見るのが怖くて、なんとか消し去りたくて。
勢いムキになって「清らかな自分」を目指しがち…。
だけどね、人間は人間になるために生まれてきてるから、色々あって全然いい。
お坊様の書いた○みたいに完璧な人とか、神様や仏様を目指すための生き方を頑張らなくたっていい。
頑張ってまんまるにしようとした自分に、どうしても残ってしまう凸凹を慈しんだり、
磨いたり、
さらに尖らせたりして、
曝け出して皆に使ってもらうしかない。
まずはどんなに不味くても自分を一旦受け入れて、飲み込んでみて。
こんな自分もいるんだってことを、なかったことにしないで。
そんなこんなで、
エゴの話をするのは、
図太さや開き直り方が身について、自分のいちばんの味方になりたいと思えてからの方がかなり楽。
味方になれないと思うモヤモヤこそが、ラスボスだったりする不思議。