ご先祖様のスタンス。

お墓もお仏壇もしまったので、

この度の始末をご先祖様にしてまいりました。

お詫びの気持ちをお伝えすると、

彼岸の皆様はそんなこと全く気にされいてないご様子。

私達はみな、誰かの一生をかけて繋いできた命の一粒。

ご先祖様の愛と叡智(良くも悪くも)は自分の身体の中にまるっと内蔵済みなのだなぁと強く感じました。

リーディングをしていて、ご先祖様が強く干渉してくることもたまにあります。

過去によっぽどの出来事がないかぎり、ご先祖様がどうのというよりは、生きてる子孫の方が家や家系に対する想い(執着、アイデンティティ)が強過ぎるという感覚でした。

縛られていると思いたい

離れられないと思いたい

(安全第一)

そういえば以前、ある方から

「霊能者の方に『?代前までのご先祖様がすべて供養されないと幸せになれない』と言われたと、一体2万円でお願いしている最中なのよ」と教えていただきました。

「今度は母方をお願いするの」と。

その後のお話やかかった金額は聞いておりませんが、顛末やいかに…。

「ご先祖様に申し訳ない」

「ご先祖様が怒っているかも」

それは、幸せになりたいという想いは勿論、 

より良く生きれていないのでは?

自分の命を上手に使い切れていないのでは?という、

生きている私達の方が抱く思考であり、不安や恐れ、感情なのだと思います。

申し訳なかったと詫びる私にご先祖様がかけてくださったのは、

「同じ蓮のうてな」という言葉。

仏教はあとから入って来たシステムだけれど、

ご先祖様がもつ感覚は、すべて分け御霊であるという古神道の世界観。

その土地で生き抜いて行くために、ご先祖様の作ってくださった戦略が、現代で誤作動を起こすこともあるけれど。

基本的には、亡くなった母が娘にずっとかけてくれていた「幸せにおなり」という想いが、

ご先祖様と呼ばれるエネルギーのいちばん大きい部分を占めるのではないかと思った次第。

今を生きる私達へと繋がる生命の不思議。 

大自然に生かして頂いているというきもち。

すべての存在に対する「畏れと感謝」。

今年もお盆がやってきます。

もしよかったら、そんなことを考えながら手を合わせることができると素敵なのかもなと思います。

明日から8月、

暑さ対策に充分気をつけて、お彼岸まで乗り切って参りましょう。

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